1項 スポーツという行為
合意形成ということを問題にしようとしたときに,行為者のレベルからスポーツを捉えておかなければならな い.なぜなら,合意形成をある客観的な事象として捉えてしまうと結果としての合意しか見えてこないからであ る.ここで問題にしたいのは,体育授業をめぐる学習者間や対教師間で行われる相互行為としての合意形成だからである.また,スポーツという実践に行為として関わることによってはじめて立ち上がる合意形成の問題を扱うためでもある.この行為としてのスポーツを検討する際にまずは,木村(1982)の議論を用いながら考えてみたい.
木村(1982)は,リアリティ(=モノ)とアクチュアリティ(=コト)のレベルをわけて,コトとしての世界の認識というのを打ち出している.それでは,コトとしての世界の認識というのはどういうことか.木村(1982) は,次のような説明をする.「木から落ちるリンゴ」という客観的に捉えるモノ的な見方ではなく,「リンゴが木 から落ちる」という,その場に行為者が組み込まれた形で,“あいだ”に生成する出来事として,現象を捉えよう とする見方である.このことからすると,スポーツをモノ的に捉えると,例えば,肘の角度は何度であるとか, 腕の速度は時速いくらであるとか,そういった動きを外側から観察した客観的な話になる,けれども,コトとし てスポーツを捉えたときには,人がある課題に対して試行錯誤しながら向かっていくプロセスとしてスポーツは 捉えられる.例えば,やり投げは「遠くにやりを投げるコト」というような捉えになり,行為としてのスポーツ は「やりをいかに遠くへ投げるコトができるかどうか」という意味を持った取り組みでとして捉えることになる. このようなコトとしての視点を内包した上で,スポーツにおける合意形成について検討してみたい.